訳注:この記事は2018年12月に発表されたものを2020年8月に和訳したものです。

カリフォルニアワイン協会日本事務所では、ワインライターであり教育者でもあるイレイン・チューカン・ブラウン(IWSC インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティションによる2020年「年間最優秀ワイン・コミュニケーター」受賞者)が、「JancisRobinson.com」のために執筆した「カリフォルニア、シャルドネの物語」(全4部、原文は2018年12月に発表)の日本語版(ヴィニクエスト代表小原陽子氏による翻訳)を作成いたしました。

パート1パート2パート3に引き続き、パート4をお届けします。

※日本語版eBook(パート1〜4統合版)は、こちらからダウンロードできます。
※JancisRobinson.com掲載の原文(パート4)はこちらから。

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スタイルの多様化:2000年から現在まで

ABC運動が定着するにつれ、ワイン愛好家たちはカリフォルニアのシャルドネに背を向けるようになった。アメリカじゅうのレストランではグラスワインが大幅に削減され、シャルドネは1種類の主要な銘柄を残すのみという状態だった。そんな中、ロンバウアーとケンダル・ジャクソン・リザーヴはカルフォルニアで最も栽培面積の広いこの品種を豊かに表現する典型とみなされるようになり、1980年代半ばに発売されたケンダル・ジャクソン・リザーヴは2000年代には残糖をほのかに感じるリッチなスタイルのシャルドネの代名詞となっていた。「ブティックワインほど高価ではなく、安ワインほど安価でもない」という、市場で空席となっていた中価格帯のレンジにぴったりとはまったことで、ケンダル・ジャクソンは万人向けワインとして売られたのである。発売当初は一般的ではなかったその残糖を感じるスタイルは1990年代の終盤には世界中で真似されるほどになった。

実はケンダル・ジャクソン・リザーヴの場合、その残糖はシャルドネに由来するものではなく、少量ブレンドされた未発酵のゲヴュルツトラミネール(すなわち甘い果汁)によるもので、ワインは複数産地のブレンドだった。デイリーなワイン消費者はその意味を十分に理解しなかったが、専門知識のあるワイン消費者はそれを理由にシャルドネからますます遠ざかった。ところが、こうしてハイエンドの消費者やワインオタクたちがシャルドネ批判を繰り返していたにも関わらず、低価格のシャルドネの販売が安定していたためにシャルドネの栽培面積は目立って減少することはなかった。一方でパーカーやワイン・スペクテーターが推薦するような高品質ワインの生産者はそれを求める収集家向けの販売を強化し、対照的にクラシックなスタイルを維持していた生産者は売り上げが少しずつ減少する中、長年のファンに依存していった。ABC運動によってシャルドネに異なるスタイルが存在する点が見過ごされるようになってしまったのは残念だ。こうしてワイン愛好家はカリフォルニアワインから遠ざかり、旧世界の生産者を思わせるフレッシュなスタイルが徐々に巻き返しを見せるようになった。 カリフォルニアで熟度の高いスタイルを持ち味としていた著名な生産者すら、フレッシュさを増す検討を始めることになるのである。

1990年代終盤にその芳醇なスタイルが絶賛されていたデュモルのワインメーカー、アンディ・スミス(Andy Smith)も、2000年代初頭にはすでに自身のアプローチを再考し始めていた。2003年にロシアン・リヴァー・ヴァレーの中でも冷涼な地として知られるグリーン・ヴァレーで自社畑の栽培を開始する頃には、彼はフレッシュさを引き出すだけでなく、ワインに更なるニュアンスを与えられるような畑にしようと心に決めていた。このデュモルの自社畑にはカリフォルニアのヘリテージ・クローンが植えられた。

スミスが育苗所のクローンやヒート・トリートメントを受けたUCデイヴィスの苗でなく、カリフォルニアのヘリテージ・セレクションを使うことにしたのはそのクローンがもともと複雑さを兼ね備えていると考えたためだ。彼はその穂木をオクシデンタルにあるモレッリ・レーン・ヴィンヤードから取得することにした。このモレッリ・レーンはスミスが当時デュモルで使用するブドウの購入先として自身も共に働いていた場所でもあり、それらを使ってデュモルの自社畑を構築しようと考えたのだ。モレッリ・レーンのシャルドネはスティーヴ・ダットン(Steve Dutton)が1990年代半ばにピーター・マイケル・ワイナリーのために植えたもので、その穂木は育苗所のものではなく、オクシデンタルにある複数のシャルドネの畑からとったものだ。それらの畑にはヴィンヤード・セレクション、あるいはヘリテージ・セレクションと呼ばれる苗が植えられていたというが、その正確な由来は現在もまだ検証中だ。ただ、モレッリとデュモルの畑からとれるブドウが明確にウェンテ・セレクションのものと異なるのは小粒のバラ房で果皮が厚い点で、それによってもたらされる自然な凝縮感ある果実味とフェノリックの存在感が強く印象に残る。スミスは果皮からのタンニンの抽出を控えるため、ゆっくりと優しい圧搾を行うことにした。

この自社畑の一部には、カーネロスにある著名なハイド・ヴィンヤード、中でもウェンテ・セレクションのシャルドネが植えてある区画から取得した穂木も植えられている。スミスはブルゴーニュ、サン・トーバンのユベール・ラミー(Hubert Lamy)の栽培法からインスピレーションを受け、この畑を密植かつ低く仕立てた。この高さのブドウを密植にするとフルーツゾーンは常に隣の列の陰になり、スミスの新たな目標である「ニュアンスとフレッシュさの増幅」に効果的だということもわかった。この手法は病気のリスクを減らすため内部の除葉を頻繁に行う必要があるものの、繊細なフレーバーの前駆体が日光にさらされて燃え尽きてしまうことを防ぐことができるのである。太陽にさらされたブドウからはリッチで色の濃い果実のフレーバーが生まれるが、このように陰になったフルーツゾーンからは切りたてのセロリの葉やかんきつ類の花のような、ぴったりと焦点のあった繊細なフレーバーがもたらされる。この対比はデュモルのもう一つのシングル・ヴィンヤード・シャルドネと比較テイスティングすることで鮮やかに浮かび上がる。同じような標高、斜面の向き、土壌とブドウから作った、樹間の広い畑のワインは全く異なった果実味を見せるのである。口の中が唾液で満たされるようなフレッシュさはどちらにもあるが、フルーツゾーンが陰になったもののほうがよりニュアンスがあり、複雑だ。また、この頃からスミスは収穫を少しずつ早めている。1990年代終盤、デュモルのワインはアルコール度数が15%程度だったが、最近では14%を超えることすら珍しい。さらに、スミスは醸造法に由来するリッチさも抑制するようになった。例えばワインの口当たりや重さを変えるためにバトナージュを減らし、クリーミーなものから直線的なものへと移行したり、50%以上だった新樽の比率を25から30%程度に減らしたりしている。

デュモルの土地は標高がおよそ200フィート(60メートル)にあり、砂岩の上にゴールドリッジと呼ばれる非常に細かな土壌が重なっている。醸造にはカリフォルニアのシャルドネでもかなり広く用いられるようになった、ブルゴーニュにインスピレーションを受けた技術を導入し、全房圧搾、果汁の意図的な酸化、樽発酵、自然な乳酸菌によるMLFの完結、12か月の樽熟成の後に6か月のタンクでの熟成を用いている。

ちなみに密植という手法はデュモルの前にもカリフォルニアで耳にしなかったわけではない。かつてナパ・ヴァレーのオーパス・ワンではロートシルトがカベルネ・ソーヴィニヨンの畑で同様な密植に取り組んでいる。しかしこの手法は他の品種に広く用いられることはなく、シャルドネの例もほとんどなかった。デュモルが自社畑の栽培を開始した直後、スミスとは関係なく、サシ・ムーアマン(Sashi Moorman)がサンタ・リタ・ヒルズのはるか西、現在のドメーヌ・ド・ラ・コート(DDLC)・ヴィンヤードにあたる場所で密植を始めている。この地ではカリフォルニアのヘリテージ・クローンのみが使われていたのだが、最初の10年間はピノ・ノワールしか栽培していなかった。DDLCのチームが急斜面に密植したシャルドネの栽培を開始したのは2014年で、初収穫は2018年だ。

2010年、ソムリエのラジャ・パー(Rajat Parr)はムーアマンと手を組み、サンタ・リタ・ヒルズを拠点とするシャルドネに特化したプロジェクト、サンディを立ち上げた。このワイナリーは現在ではピノ・ノワールも造るが、その始まりはシャルドネにフレッシュな表現を求めたことだった。このサンディのワインはカリフォルニアで起こっていた2つの重要な変化を体現していた。一つ目は、そのワインが一貫してアルコール度数が低いことで知られた点だ。サンディを始めた当初、収穫を早めることは(14%未満のワインを造るどころか、13%未満のものを造るためだった)カリフォルニアのイメージだった熟度の高いスタイルと真逆を行くものだったため、多くの人はそのワインにほとんどフレーバーがないと感じたようだ。パーは、かつてのカリフォルニアのクラシックなスタイルに敬意を表しつつ、1981年のプリアルの記事にあるようなフランスワインの静謐な繊細さを表現したかったのだという。すなわち最初に強い印象を与えるのではなく、グラスの中でその本質を表すまでに時間を要するスタイルだ。二つ目は、サンディのプロジェクトがカリフォルニアにおける小規模生産者のここ10年間の増加を象徴的に表していた点だ。

2008年の世界的金融危機はワイン販売業やワイナリーに直接的な打撃をもたらし、著名なブドウ畑との長期的なブドウ売買契約や、アメリカ国内でのワイン販売の手法に大きな変化が起こった。自分たちで栽培をするのではなく、ブドウを買い入れる、小規模なネゴシアン形式のワイナリーが続々と登場したのである。サンディもまた、サンタ・バーバラ・カウンティにある著名なブドウ畑から買い入れたブドウだけで造られていた。

この時期、カリフォルニアを席巻する熟度の高いワインに不満を持っていたパーと、ソノマ・コーストの生産者、ジャスミン・ハーシュ(Jasmine Hirsch)は手を結ぶことを決めた。2011年、彼らはイン・パースート・オブ・バランス(IPOB)を創設し、最初はピノ・ノワールのみ、2年後にはシャルドネも含めたテイスティングを開催した。IPOBはその5年間の活動の間、旧世界を思わせるようなフレッシュさをカリフォルニアワインに求めるワイン愛好家たちの拠り所となったが、熟度の高いワインから遠ざかり始めた消費者に不満を募らせていた批評家たちの格好の標的にもなった。パーカーやワイン・スペクテーターが繰り返し激しい批判をIPOBとその創設者たちに浴びせたのである。活動期間中、IPOBはカリフォルニアで新しいフレッシュなスタイルを推進した功績を評価される一方、不必要な分断をワイン・コミュニティにもたらしたとして非難されることとなった。だが振り返ってみれば、IPOBは大きな流行を反映していただけであり、彼らがその原因であったわけではない点は明らかだ。またIPOBは当時のサンフランシスコ・クロニクルのワイン批評家、ジョン・ボネ(Jon Bonné)が支持していた考えとも通じており、ボネはIPOBに参加するワイナリーを選択する際のテイスティング委員会にもその名を連ねている。

いずれにしても、若い小規模生産のワイナリーの多くがIPOBを通じて注目を浴び、その恩恵を受けたのは事実だ。例えばセントラル・コーストではチャナンやルタムを造る、クレンデネンに師事したギャビン・チャナン(Gavin Chanin)、 タイラーを造るジャスティン・ウィレット(Justin Willette)などが新たな顧客を獲得している(タイラーの成功はさらに国際的な新規コラボレーションにつながった。現在、エティエンヌ・ド・モンティーユがウィレットと共同し、サンタ・リタ・ヒルズで今後発売予定のモンティーユ・ウィレットを造っている)。一方北のほうに目を向けると、既存のワイナリー、例えばアンダーソン・ヴァレーのドリューやナパ・ヴァレーのマサイアソン、長い歴史を持つソノマのリトライやフェイラなどもその恩恵を受けている。IPOBはまた、カリフォルニアのシャルドネのクラシックな生産者、オー・ボン・クリマやマウント・エデンなどの重鎮たちの存在を消費者に思い出させ、彼らに再び注目を集めるきっかけも作ったのだ。

IPOBとは別に小規模生産のワイナリーは増え続けており、それらの創設者は(訳注:自身のワイナリーの経営が軌道に乗るまで)著名なワイナリーでフルタイムの醸造の仕事に就いている場合が多い。彼らの多くはブドウをトン単位で購入しワイナリーを運営しているが、ナパ・ヴァレーのエンフィールド・ワインCoやソノマ・カウンティのセリタスなどのように、ニュアンスや品質を求めて栽培からコントロールできるよう、購入可能な畑を探している数少ない例もある。

かつて熟度の高いスタイルで知られていた生産者がフレッシュさを追求するよう転換した例はデュモルだけではない。ナパ・ヴァレーのホワイト・ロックの2代目は、2000年代のパワーほとばしるようなワインのスタイルから、ナパ・ヴァレーの熟度をそのまま反映しながらも酸によるフレッシュさを持ち合わせたスタイルへの転換を図ってきた。一方、フレッシュさを求めるIPOBの主張と強く関連づいた印象があるが、ソノマ北部のコパンの創設者、ウェルズ・ガスリー(Wells Guthrie)がかつてパーカーお気に入りのワインメーカーだった点は忘れてはならない。これらワイナリーのスタイルに変化が起こり始めると、中規模から大規模のワイナリーもそれに追随するようになった。時を同じくしてIPOBは2016年に解散、コパンはジャクソン・ファミリー・ワインズへ売却された。最近では熟度の高いスタイルで定評のあったマーフィ・グッドのようなワイナリーですら、軽やかでフレッシュなスタイルへの転換を公言している。

対照的に、ソノマのキスラーやナパ・ヴァレーのオベールなどのワイナリーはIPOBの運動を横目にニュアンスのあるリッチさを生み出すその才能を維持し、彼らのスタイルを愛するファンからの支持を集め続けている。

こうして様々な変遷を重ねたカリフォルニアのシャルドネは現在、その品質レベルにかかわらず、かつてないほどに多様なスタイルを見せてくれる。

(完)

 

参考文献

・Gerald Asher, 1990, ‘Chardonnay: Buds, Twigs and Clones’, Gourmet
・Robert Benson, 1977, Great Winemakers of California
・Doris Muscatine, Maynard Amerine, Bob Thompson, 1984, The Book of California Wine
・Thomas Pinney, 1989, A History of Wine in America, Volumes 1 & 2
・Frank Prial, 2001, Decantations: Reflections on Wine
・Nancy Sweet, FPS, UC Davis, 2007, ‘Chardonnay History and Selections at FPS’, FPS Grape Program Newsletter
・George Taber, 2005, Judgment of Paris: California vs France and the historic 1976 Paris tasting that revolutionized wine
・FPS Grapes, Grape Variety: Chardonnay
・Focus on Chardonnay (proceedings of a four-yearly meeting of Chardonnay producers from around the world, available from the participating wineries only)
・University of California Oral History Project: including Ernest Wente, Wente Family, Mike Grgich, Zelma Long, Eleanor McCrea, Maynard Joslyn